私は昔からとても負けず嫌いで、決めたことは何が何でもやりとげるタイプの性格でした。
みなさんも、「時には諦めることも大事!」なんて優しい言葉を聞いたこと、かけたことがあるかもしれませんが、
私はこの、「諦める」という言葉が大嫌いでした!(笑)
カナダにきてから英語でものを考えるようになり、この「諦める」という言葉は、ときに「認める」の意味で使われていたのかな、と考えるようになりました。
みなさんは、「認める」という言葉にはどのような印象を持ちますか?
この考え方が私の生きやすさのきっかけにもなったので、頑張りすぎてしまうあなたへ!このブログを送ります
Surrender
英語で「Surrender」という言葉があります。(カタカナで書けない発音です…)
日本語では「降伏」や「降参する」と訳されます。
降参すると聞くと、諦めたり、負けを認めたり、ネガティブなイメージを持ちましたが、
英語でSurrenderが使われるときは、必ずしもネガティブではなく、もしろ前向きな意味で使われることが多いことに気が付きました。
これが深く考えるようになったきっかけです。
「諦める」とは
諦めると辞書で調べると、「もう希望や見込みがないと思ってやめる」と書いてありました。
やはり私のタイプではありませんが(笑)、別に悪いことだとも思いません。
諦めることで、肩の力がぬけて、気持ちが楽になることはありますよね
ただ私の性格もあるのかもしれませんが、私は自分で諦めたときのことって、その後もずっと覚えています。
自分でできなかった悔しさというか、後味の悪さがなんとなく残ります。
私は「後で後悔したくないからやる!」とよく言うのですが、自分でも諦めることが嫌なのが良くわかります(笑)
でもこの性格、ついつい頑張りすぎてしまうんですよね…
(わかる~?泣)
「認める」との違い
私に変化があったのは、この「認める」と「諦める」の違いに気が付いたときです。
「認める」という言葉を辞書で調べると、気づく、見てまた考えて確かにそうだと判断する、正しいとして受け入れる、と書かれています。
認めることは、ネガティブな要素を含みません。
自分でできることがあるのにネガティブな気持ちでやめてしまう「諦める」に対し、
ただ事実をありのままに受け入れることが「認める」です。
そして諦めたときとの大きな違いは、認めるとはっきり言ってその時めちゃくちゃ辛いです!
でも、時間が経つと気持ちがすっきりします。
もっと時間が経てば、「よかった」と誇りにも思える日が来るはずです。
でもどうしても、その場の辛さの怖さから、自分に嘘をついてでも避けてしまうのが私たち人間です。
自分にコントロールできること、できないこと
何度もしつこく繰り返していますが、もう一度自分にコントロールできることと、できないことを思い出してみてください。
自分の考えや感情等、自分の内にあるものは全て自分でコントロールできること、それ以外は全て自分のコントロールに及ばないことです。
この事実と、「諦める」「認める」の関係をもう一度併せて考えて欲しいのです。
「諦める」ことは、自分のコントロールできることを、自分の意志でやらないことは明らかです。
でも自分にコントロールできないことを「諦める」ことは、本当に諦めでしょうか?
それは、事実を「認める」ということではないでしょうか。
分かりやすい例が、2人の人がいる恋愛です。
彼と意見が合わないことは、どうしようもない事実。
素直に認めて、受け入れて、自分のエゴを手放すことが必要です。
私はどうしても「まだ諦めたくない!」と引き時を知らずに、無駄な労力とストレスを使ってしまったなと思います。
遠距離恋愛や、宗教の問題もそうかもしれませんね。
環境は自分ではどうしようもないときがあります。
ここで諦めない!と意地を張ると、私のように気がづけばアッラーにお祈りすることになります(笑)詳しい話はまた今度(笑)
もしかしたら、今まで私が良かれと思って「最後まで諦めない!」と半ば意地を張ってきたことは、怖くて事実を受け入れたくなかった、つまり認めることができなかっただけなのかもしれません。
あなたも、諦めない!と、頑張りすぎていることがありませんか?
それはあなたにコントロールができることですか?
そろそろ諦め時、あっ、認め時かもしれませんよ!
認める勇気
この認めるって行為、とても勇気がいるし、本当に難しいことなんですけどね。
先に書いたように、認めることはその時が一番辛いので、どうしても避けてしまいます。
だけど、認めることができないと、結局自分に言い聞かせながらまた無理に頑張り続ける日に戻ります。
大げさかもしれませんが、結局、自分に正直に生きていくのか、そういう生き方を「諦める」のか、その選択ではないでしょうか。
自分に正直に生きると決めた私にとっては、辛いけど避けては通れない大事なステップでした。
認めることは、決して諦めでも、負けでもなく、素直で勇敢でかっこいい行動だと私は思います。
それに気が付いてから、特に負けず嫌いの私は特に自分に対して、「諦める」という言葉の使い方に慎重になりました。
確かに、「時には諦めも必要」なのかもしれません。
でも実は必要としているのは、「諦め」ではなく「認める」ことなのかもしれません。
私も日ごろから意識をして、少しずつ練習をするようにしています。
常に、何が自分のコントロール内でそうでないのかを忘れずに、
そして、いつ諦めずに頑張るのか、いつ素直になって認めることが必要なのか、意識をするようにしています。
そしてここに、先日書いた「決める」ことの大切さが結びついてくるんですね
認めても、自分を信じることは諦めない
認めることは大切ですが辛いです。そのとき、自分を信じることを諦めてほしくないです。
例え最後一回のスクワットを諦めることはあっても(笑)、自分を信じることだけは諦めないでほしい!
たとえ辛い現実を受け入れ、失恋の痛みを経験しても、その先にはきっと新しい幸せが待っていると信じてほしい。
たとえ今すぐに仕事の環境を変えられなくても、自分の時間を大切にしながら、心豊かに生きていけることを信じてほしい。
たとえ病気になり、それを受け入れなければならなくても、新しい生き方の中に新たな喜びを見つけられると信じてほしい。
これは私の一方的な想いですが、やりたいことがあるのに「どうせ私には無理だから」と諦めている人を見るのが本当に悲しいです。
必要なときに自信を貸してあげられる存在になりたいと強く思って、コーチになることを目指して勉強中です
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